妻への手紙【閲覧注意】
結婚10周年に際して菜生ちゃんに手紙を書きました。
ひどく個人的なもので、僕の備忘録的にここに記したいと思います。
(妻への手紙を晒すのはなんとなく品が悪い様な気がしますが、その時の自分の素直な気持ちであり、後年見返したときのマイルストーン的な役割を期待しながらここに記します。原文まま。)
ひどく個人的なものなので閲覧注意です。
菜生ちゃん
結婚をして10年が経ちました。
まずは本当に今までどうもありがとう、そしてお疲れ様。
そしてそしてこれからもどうぞよろしくお願いします。
菜生ちゃんあっての今だし、暮らしだし、僕です。
本当に菜生ちゃんと一緒にこの様な暮らしをデザインし、実践出来てこれ以上なく楽しく、そして幸せです。
菜生ちゃんは小さく、綺麗で便利な生活を…というけれど、確かにそれも良いのだろうし、菜生ちゃんの言う様にしたい様にしてもらったらと思っていますが、多少不便でやることが山の様にある今の生活に改めて僕は敬意を表するし、これ以上はきっとない幸せを感じています。それもこれも菜生ちゃんと一緒だからこそ出来ることです。
自然と寄り添いながら生活すること、もしくはそれを感じながら生活すること、それ自体がもはや「富」なのだと思います。薪を割ること、それで火を付けること。井戸を掘り、それを汲み上げ、その水で調理すること。ニワトリを飼い、卵やお肉をいただくこと。畑に種をまき、それらを収穫して味わうこと。食べ物を採集してくること。動物を飼い触れ合うこと。などなど、これらは全部都市的な観点でみればめんどくさく、合理化の対象になり、分業化されてきたものです。でも分業化の果てにたどり着く先は人間そのものの貧しさではないかと感じています。
今のテクノロジー、「便利」を上手く生活に取り入れながらも、生活の中に「不便さ」も残しておきたい。菜生ちゃんにとってみたら腑に落ちない事かもしれないけれど、もう少し、もう少しだけこんな生活を家族で経験したい。少なくとも陽ちゃんがもう少し大きくなるまでは。
菜生ちゃんあっての僕、菜生ちゃんあっての家族。
結婚してみえた世界は悲喜こもごもあれど、過ぎてしまえばそのどれもが輝いている様に感じます。とうもありがとう。本当に言葉が陳腐だけれど感謝しかありません。
どうもありがとう。
これからも楽しい日々の暮らしを描いていきましょう。
壮大なリアルおままごとを。
2021年2月11日
長谷洋介