遠くの学校へ歩いて通う
おはようございます。
僕自身の話を少しさせてもらうと、2007年から2年間青年海外協力隊の理数科教師という職種で2年間フィリピンに派遣されていました。
そこでは現場の教師として学校の生徒と向き合うということではなく、日本でいう県の教育委員会に派遣され、研修をコーディネートするお手伝いをしたり、学校のモニタリングに出かけたりという活動もしていました。
僕自身はフィリピンの「田舎」の人たちがどんな生活しているかということに当時から興味があったので、時間を見つけては都市から離れたど田舎に出かけて行ってはそこの家庭がどのように生活しているか、そこの生徒がどのように学校に通っているかなどを体験させてもらったりしていました。
場所によっては2時間かけて歩いて通っている子もいて、日の出前に家を出発して、つり橋を渡ったり・・・なんて事もありました。
雨が降ると川が増水して学校はいけないなんて子もいました。
学校は知識を身につけ、その知識でもって社会で職を得るという手段でありました。
貧困から抜け出す為の大きな手段です。
朝5時前に家を出発して、「学校はどこにあるの?」との僕の問いに「あの山の向こう」と答える彼の姿は今でも印象に残っています。
前置きが少々長くなりましたが、我が子が普段通っているスクールに歩いて通いはじめまています。
「あの山の向こうまで歩くんだ。」と思ったときにフィリピンのあの情景をふと思い出したのです。
彼も今うっすらと見えている山の稜線を超えたところにあるスクールまで歩いて通っています(まだ2日目ですが)。
距離にしたら6キロ弱あるそうです。
さくさく歩いてだいたい1時間15分くらいでしょうか。
昨日僕が一緒に歩いたときは「近道を見つけたよ。教えてあげる。」と言って県道から脇にそれて、薪がきれいに積んである山道を案内してくれました。
「まだ近道があるかもしれない」と、近道探しもしました。
藪の中に分け入って、草で手を切っていました。
ホントは4月から歩いて通う予定にしていましたが、例の入院騒ぎでこのタイミングになっています。
どうなるか分かりませんが、経過をみんなで見守りたいと思っています。
「タニウツギがきれいだね。」
「魚を包んだりする木だ。」
「めっちゃ大きなイタドリ。」
「意外とたくさんアカメガシワがはえているね。」
「こしあぶらって大きくなるとこんな葉っぱなんだ。」
など道脇にある植物に目がいったり。
「父さん、赤ちゃんってどうやって出来るのかな?」
と性教育の時間が始まったり。
前々回(?)の大河ドラマで吉田松陰先生が畑作業をしながら「弟子」たちと色々な会話をして・・・という描写を思い出しました。(松陰先生自身も子どもの頃に畑作業しながら父親から色々なことを教わって・・・とありますね。)
この1時間余りの時間も、僕自身もしかしたら悪くないかもなと思えている2日間です。
ちょうど良い運動になっています。
2件のコメント
Yosuke HASE
何が良いのかな、って考える日々ですが、とりあえずゆとりを持ちながら生活出来たら良いなとは考えています。 ゆとりが無いと普段感じたり、考えたり、楽しめたりしなくなっちゃうなとは思っています。
じいじ
すばらしい!!
これぞ教育