日参
長らく更新していなかったけれどまた再びちょっとずつ書いていこうと思う今日この頃。
僕たちが住む集落にはお宮がある。
30数世帯ほどの集落に独自の神社があるというのはすごいことらしく、なかなかそんな集落は無いらしい。
毎日毎日集落の人が順番にお参りに行く。
今朝はうちの番だったので息子と一緒にお参りに行った。
神社にお参りに行く習慣なんてものはここに引っ越してきてからのものだ。
でも、集落みんなで神社を神様を大事にしている感じが僕は好きだ。
仕事柄、子どもに絵本を読んであげることが多い。
僕も小さいころに読んだ記憶のある「おならのしゃもじ」。
主人公の若者はとても貧乏でいつも腹を空かしていて、ある時このままじゃやばいと神社にお参りに行く。
「何か食べ物を・・・」
すると神様が赤と黒のしゃもじをプレゼントして・・・と物語は続いていく。
日本の昔話を読むと良く神社が登場する。
困ったときは神社に行く描写を良く見かける。
自然な流れで神社の鐘を鳴らし、手を合わせる息子。
僕も下の娘が大変な時はよくここで手を合わせたものだ。
息子が神社からの帰りに「なんで神様は見えないの?」と聞いてきた。
僕はなんで見えないのかなぁとしばらく考えながら
「神様は見えるものじゃなくて感じるものなのかなぁ」
と応えた。
神様というものが存在するしないは別として、そういった何かsomething greatな存在を感じながら生きていくことは何か大切なことのような気がしてならない。
おかげで娘は元気になって、家での4人での生活が当たり前になった。
下の歯が一本生えて、お座りも1人で出来るようになった。
カウンターで4人で並んでご飯を食べれるようになった。
沖縄の友達から届いた南国のフルーツがちょっと涼しくなってきたこの家に南国の香りを漂わせた。