日々の暮らし

戦後70年か

テレビや新聞を見てみると「戦後70年」という単語と出会う。
あの大戦から70年か。

もちろん僕は戦争体験者ではなく、僕の祖父母の代の人たちがあの戦争を体験した世代だ。

学校で習った。
テレビでも見たことがある。
本でも読んだことがある。
修学旅行で広島にも行った。

ただ、祖父母から当時の話を聞いてもそんな具体的な話は聞けてない。
きっと聞くほうの準備も出来ていなかったからというのもあると思う。

体験してない人には
言っても伝わらない
分かってもらえない

もしかしたらそんな想いもあるのかもしれない。

僕はもちろん、戦争から帰ってきた肉親を迎えたことはない。
だが、祖母は戦地から帰ってきた祖父を迎えている。

どんな気持ちだったのだろうか。
祖父はどんな様子で帰国し、祖母や家族と対面したのだろうか。

父方の祖父は激戦地から生還したと聞いている。
小さい時その話を聞いてもピンと来ないものもあった。
きっと今もそんなにピンとも来てないのかもしれない。

先週27日金曜日、妻娘が17日間の入院生活(11日が手術)を終えて退院した。

一進一退の入院生活

お腹が空いて泣き喚く我が娘に、水分制限があるからと授乳してあげることも出来ずに、抱っこしてあやすが、娘は泣き過ぎでチアノーゼになるまで泣き、仕方なく薬を飲ませて寝かせるみたいな時期もあったそうだ。

もちろん、病院の先生は色々な症例を経験し研究し、その時考えうる最善の手を打ってくださっていたことと思う。

ただ、1日の間のちょっとした時間だけ往診し、血液検査、エコー、レントゲン、心電図の様子から処置を決定する医師と、1日中その医師の指示に従って、いくら娘が泣こうが、母乳を要求しようが、それに応えることが出来ずに付き添うことしか出来ない妻。

思考を停止して、医師の言うことに素直に従っていたらどんなに楽だろう

ただ、24時間娘と一緒にいて様子を観察して、医師の説明から色々自分で考えて、インターネットでも色々検索して、医師にめんどくさい母親だと思われながらも医師に相談して、娘が楽になるように楽になるようにと母親視点で考え行動することがどんなに大変だったか

何度も、思考を停止してただ従うだけがどんなに楽だろう、と思ったという。

だが、最終的な責任は母親である自分にあって、何かあっても医師が責任を取るわけではないということから、一生懸命娘と向き合い続けた17日間だったと思う。

帰ってきた妻は、グッタリしていた。

何度も涙を流しながら「辛かった。」「疲れちゃった。」と言っていた。

僕は今これを僕の限られた想像力で書いている。
17日間という期間であったが、それがどれくらいのものを彼女の身体に蓄積、沈殿させていったか。

途方も無い経験をしたことだと思う。

こんな事を機に、僕も色々な書籍をとってページをめくってみたりもする。

今は前よりも想像力が働く。
本当に人生は様々だ。

何回も言うかもしれない。

今まで「当たり前」と思っていたことは、全然「当たり前」でなく「有難い」。

退院後「私、鬱かもしれない。ノイローゼかもしれない。」と弱音をはく妻に

僕は戦地から帰還しPTSDになる人、兵士を連想した。

思考を停止させて、自己防衛に走る脳と身体。

大げさに聞こえるかもしれないが、本当によくよく考えていかなくてはいかないことだと思った。

戦後70年か

今も世界を見渡すと戦争・紛争は絶えない。
ここまで社会は成熟(?)しても戦争・紛争は無くならないものか
人間は賢いのか、愚かなのか
(最近の日本政府の動向も気になる)

イスラエルに住むお母さんの言葉が蘇る
「この子が大きくなるまでに兵役がなくなれば良いのに」

退院して公園で授乳
久しぶりの外でした。

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