無事に手術が終わりました
あの大震災から4年
傍らで流れるテレビの情報はそれ一色、のような気がしていた3月11日
朝9時
娘の手術が予定通り始まり
そして
夕方4時
予定していた手術を滞りなく済ませ、娘の手術は終わった。
結果、胸を開けてみたら動脈管(体動脈と肺動脈を繋ぐ血管。生まれた時には自然と無くなるものが娘のは無くならずにいきていた。)が思っていた以上に大きくて、そこから肺へ大量に血液が流入。
その影響で心臓もだいぶ負担がいっていたみたいで、肥大していたそうだ。
予定していた切開では、中の様子が全然見えない程の心臓肥大だったということだから相当だったんだろう。
辛かっただろうな。
手術日近くには、だいぶおっぱいの飲みも悪くなっていたし、心なし顔色も優れなかった。
手術が1週間早くなってくれてそれでも良かったな、と思う。
動脈管をくくると心臓がスーっと小さくなったそうだ。
心室中隔欠損の穴も9ミリくらいじゃないかと言われていたのが15ミリくらいあったそうだ。
開いてみないと分からないことはまだまだある。
それでも、先生は、動脈管を閉じ、心房にあいている穴を閉じ、心室中隔の穴も閉じ、予定通り手術をしてくれた。
手術が終わりICUに運ばれた娘と僕たち夫婦は夕方5時ごろ対面できた。
麻酔で深く眠っている彼女の体にはたくさんの管が繋がれ、胸には切開の跡があり、
人工呼吸器で上下する彼女の胸はゆっくりと動いていた。
先生の手術の説明を聞き、手術は予定していたこと全て出来た旨、
術後の経過も今のところ良好
という話を聞いて、心底ホッとした。
あれだけの手術を、当たり前のように済まして来てしまう先生とその他の医療スタッフに敬服の想いだった。
難しいことを当たり前のようにこなす
素人が聞くと気が遠くなるような、そんなすごい手術ではあったのだけれど。
先生に委ねるしかなかった、僕たちとしては、本当に感謝の気持ちが止まない。
朝から、夕方まで娘の心臓の手術にかかってくれた。
僕たちはというと、家族待合室でただ待つことだけ。
娘の心臓の手術なのに、(だからかな)ただただ、他の人にそのことを全部委ねてしまう、この丸投げ感がすごかった。
分業化、専門化することによって、効率はあがる。
それぞれの負担も軽減される。
ただ、それも行き過ぎると、見て然るべきものが見えなくなったり、感じて然るべきものが感じれなくなったり、といったこともあるかと思う。
バランスなんだと思う。
今後もそのバランスには気をつけて生活していきたい。
今回のことで、ホントに普段知ること、感じることが出来ないようなことをたくさん経験させてもらっている。
すごい世界だ。
今、娘はICUにいる。
術前にだいぶ肺に負担がかかっていたみたいで、なかなか呼吸機能の回復に時間がかかっているようだ。
もうちょっと もうちょっと
がんばれ がんばれ