ゆとりは大事だなと思う
長女のビザがなかなか認可されないという1点を除いて、僕はニュージーランドという国にポジティブな感情を抱いている。
たくさんある良いところのうちの1つに「ゆとり」というのがあると思う。
先の記事に書いた放課後に森を走るにしても、僕たちは3時に学校が終わって帰宅し、3時半には森に向けて走り始めたのだが、森の中で同僚の先生もジョギングしているのにすれ違った。
学生時代よく旅していたような「途上国」と言われるような国で人があまり働いていない(国民1人あたりのGDPも低い)様な雰囲気ともまた違う、仕事とプライベートをしっかりと線引きしているような、メリハリのあるように感じるライフスタイル。
子どもたちは放課後にスポーツを楽しむことが多く、学期によってそのスポーツは変遷していく。
息子は今学期はサッカーチームに加入し、木曜日の放課後に練習、毎週土曜日は試合という様な感じでサッカーを楽しんでいる。
木曜日の放課後の練習も3時半〜スタートで監督はチームメイトのお父さん。
そのお父さんが3時半になったらやってきて子ども達を指導してくれる。(そのお父さんは警察官)
練習もダラダラと長くせずに1時間程度したら終わり。
僕も折角なので一緒に参加させてもらってコーチ的な感じで関わらせてもらっている。
楽しいサッカー、ポジティブな声掛けというのを監督や保護者から学んでいる。
土曜日の試合も朝から保護者や兄弟たちがかけつけて応援している。
一部の変わった保護者がこうして熱心に子どもと関わってということではなく、全体的に仕事も早めに終わって夕食は家族揃って食べるというのが一般的なのではないだろうか。
他のニュージーランドに関する本やブログなどを読んでいてもそうだし、周りの家庭に触れてもそんな感じがする。
僕たちは今比較的治安の良い地域に住んでいて、ニュージーランドの光の部分を多く感じているというのもあるのかもしれないが、少なくとも今感じているニュージーランドから教えられる事は多い。
ニュージーランドには14歳未満の子どもが1人で留守番することは法律で規制されているが、子ども同士で外で遊ぶことに関しては言及されていないらしい。「その辺不思議だよね。」とあるお母さんとも先日話していたのだが、大人も子どもものびのびとしているのが良い。
昨日息子はサッカーの試合終わりにチームメイトと昼食後合流して、テニスをしたり、マウンテンバイクで森を走ったり、近所の公園で仲間を集めてサッカーをしたりとして遊んで過ごした。
なんて豊かな土曜日なんだろう、と心から感動する。
サッカーを通じて息子も友達との距離が縮まってきており、言葉が不自由で大変なこともあるだろうけれど、色々と挑戦することは世界を広げることに繋がるよなぁと息子の姿を見ていて思う。
最近の日曜日は海沿いの町タウランガの高校まで出かけていって午前中はみっちりとバドミントンの練習をしている息子。
心身ともに成長を感じる。
最近はスポーツが面白いみたい。
僕も負けずに何か楽しみたいと思う。(僕の最近の楽しみは英語と日本語での読書)
FIREしてニュージーランドに住んでいる友人が、「日本に帰るとただ楽しく時間過ごしていたら駄目なような、そんな感じになってしまうんだよね。」と言っていた言葉が今も耳に残る。
確かに日本は「楽しむ」ということに対して無意識のブレーキがかかるのはなんとなく感覚として分かる気がする。
より良く生きるとはどういうことなのだろう。
経済の停滞の話はよくニュースで見かけるが、経済が好調=より良く生きるという簡単な等式では無い気がするし、無限の経済成長は環境に対する負荷という側面を見ても難しいんじゃないかとも思う。
より良く生きるとは何だろう
より良い社会とはどんな社会なんだろう
ニュージーランドでの暮らしにはそんな問いに向き合うにあたって色々なヒントがあるような気がしている。