日々の暮らし

想像を楽しむ

多分僕の得意技は想像だ。

夏場に手作りしたウッドデッキに子ども用プールを設置し、そのプールで子どもと寝そべりながら目を閉じ紅海のビーチに脳内は移動する。

鳥取にいながら紅海・時に沖縄・時にカリブ海へと自由自在に移動する。

とてもリーズナブルに幸福感を味わう術を手に入れた。

最近は家族でのオランダ移住を想像しては喜怒哀楽を苦楽を想像しては楽しんでいる。

実際に家族で海外移住しようと思うととてもハードルを感じるが、それを目を閉じて想像するだけで軽やかに経験した気持ちになる。

なるべく解像度を上げたいので、色々な人の記事をネットで読み漁ったり、実際にオランダに居住経験のある人に経験談をお話いただいたり、日本人の両親で家族で海外移住(ドイツ)の経験を持つ友人にお話を聞いたり、想像を逞しくする為に色々な活動を行っている。

それを妻と一緒に行い、ともに想像したり、ディスカッションしたり、感想を伝えあったりで、夫婦で海外移住する想像をしながら楽しんでいる。

すると普段と同じ景色でもその見え方・感じ方が変わってくるものだから不思議なものだ。

何気ない日常がとても楽しくなったり、愛おしくなったり、見えなかったものが見えるようになったり、感じにくかったものが感じやすくなったり。

感度が上がる。

地域の支援センターに行くとずっと遊べる

「面白いか」「面白くないか」

人生100年時代と言われる中(100年まで生きる自信はとても無いが)、いかに生きるかということはとても気になる。

家族で海外生活を経験する人生とそうでない人生を比べた時にどちらがより自分は魅力を感じるか(面白いと思えるか)

4人の子どもの父親になり、自分が父親からもらって嬉しかった事について考える

とてもたくさんのものをもらったと思うがその中で今パッと思い浮かぶのは、家族で過ごした3年間のカナダでの時間だ。

当時は特段良いとも悪いとも思っていなかったし、当然の事として受け入れなくてはいけない類のもので、当時の日本の友達と離れることに漠然と寂しさを覚えたり、慣れない英語での学校生活にちょっとした困難を覚えたりはしていたかもしれないけれど、その後に続いた人生の中でこの3年間の事を思い出すことも多く、「いかに生きるか」とより強く意識しながら生きるという姿勢は幼少期に過ごしたカナダでの3年間の影響も少なくないと思う。

もう少し書くと、それまでは父親は朝は早く出勤し、夜は遅くに帰宅する。
週末も家族でゆっくり過ごすということが出来る時もあれば難しいこともあった。
僕は父親に対してとても「怖い」という印象を持っているが、今思い返してみたら日々の仕事のストレスなどからくる余裕の無さということももしかしたらあったのかもしれない。(単純に時代ということもあるかもしれないし、単純にそういうパーソナリティということもあったかもしれないが。)

カナダでは父は、夕方は5時前に決まって帰宅し、多くの時間を家族と過ごすことが出来た。
夕方子どものサッカーや野球チームの活動に一緒に出かけたり、一緒に裏庭で遊んだり、夕食後は帰国後に勉強面で困ってはいけないと、僕や弟の学業面のサポートをしてくれたり、休みの日もたくさん色々なところでお出かけをした。

同じ家族、同じ父親でも住む環境によってこんなに異なるものかというのが当時も、そして今も強く残る印象の1つだ。

結果、僕自身は若い頃に色々な国々を訪れてはそこの文化・風習に触れる機会に恵まれ、日本にいながらどのように暮らすのがハッピーかということに意識が向くようになり、そして今に至るのかもしれない。

満員電車での通勤は嫌だな。
スーツにネクタイは嫌だな。
通勤に時間をかけるのは嫌だな。
家族との時間は大切だよな。
土のある生活は楽しそうだ。
日常に火のある暮らし。
動物がともにある暮らし。
etc

家族が楽しく仲良くあれたら良いな。

自分が想像出来ることしか出来ない。

想像出来ないことは実現出来ない。

「そんなことは無理でしょ!」と否定から入る人はいる。いわゆるドリームキラー。

でも想像出来た時点でそれは不可能では無い。

いかに解像度を上げていくか。

想像と創造が同じ読みなのは偶然だろうか?

海外移住、頭で考えると色々なメリット・デメリットあるけれど、心で考えるとまた違った景色が見えてくる。

どうしても頭で考えがちな僕だけれど、「面白いか」「面白くないか」。

「面白い」妻と共に今あれるというのはとても幸運だなと思う。

感謝の気持ちを伝えながら、捨てられないように努力を続けたいと思う。

何しろ妻の趣味の1つが断捨離なので。