日々の暮らし

すぐに影響されやすい僕は「良いよ」って言われてちょっとでも「良いかも」って思うとすぐに実践して試してみることがあります。

お酒も実は飲まない方が身体への負担を考えると良いよ!と聞いてそれから(半年以上前から)ほとんど飲酒していませんが、やはり身体も楽な様な気がしています。
「酒を飲まずにどう日々のストレスを発散するの?」「あんなに酒が好きだったのに、我慢出来るの?」とか聞かれることもありますが、無いなら無いで割と大丈夫です。
習慣の様にビールを飲んでいましたが、酒も買うことが無くなったので、飲んでいません。
なので頂き物のビールとか、1年前に仕込んだ梅酒とかずーっと減らずに家にありますが、ほんのたまに飲む程度です。

先日、「運動が心にも身体にも良いよ!」とスウェーデンの脳科学者の本に書いてあったので、通勤を徒歩にしてみようと、昨日は息子と一緒にスクールまで歩きました。(片道約6キロ)

今年は雪が多かったなぁ

岡山県との県境で山間部の超田舎道。
行きは登り坂が多いので1時間20分、帰りは55分でした。
その間車とすれ違うのは2〜3台程度(土曜日ということもあったのでしょう)。
そんな超田舎道ですが、県道ということもあって丁寧に除雪されています。
この道を通る度に「ありがたいなぁ」と実感します。

最近ネパールと日本人の国際結婚家庭の人とお話する機会がありましたが、「ネパールでは田舎のインフラが整っていなくて・・・」とのこと。僕はフィリピンに滞在経験もあるのでそのお話は「そうだろうなー」と深く納得。「日本の田舎は良いですよね!」との彼らの言葉に「そうですよね!」と深く共感。

妹夫婦は1年間の智頭滞在の末、春にはドイツに帰国するらしい。

最近日本人とオランダ人の国際結婚家庭の友達ともオンラインでお話をする機会があった。
彼らは1年間智頭に滞在の後、その後は東京にて生活をしている。

子育て真っ只中世代の僕達ですが、どこで子育てするのか?

ひと昔前までは、人々にそんなことを考える余地など少なかったのだと思いますが、これだけ世の中が便利になって世界が小さくなった現代で、昔の人が考えなかった事まで考えれる様になった人が増えたのだと思います。

先日、日本での出生数が年間で84万人になる見通しだとの記事がありました。

40年前の水準と比べると約半数だそうです。

この議論については今改めて僕が言及することもありませんが、若者の未婚化というのも問題視されています。
「結婚したいけれどしにくい現状。」

人々が「こうありたい」という思いにブレーキ(制限)がかかってしまう社会というのはどうなんでしょう?
思いが実現しやすい社会であって欲しいなと思います。

最近、菜生ちゃんも色々と移住に関する想像の旅をしているようで、その中で良い言葉があったんだよ!と紹介してくれた言葉は

「オランダ人の夫は(自分が)幸せになることに躊躇がない」

(オランダ人と日本人の国際結婚家庭のオランダ在住生活記事より)

もっと純粋に幸せを追求して良いんだと思わせてくれるそんな言葉だなと思いました。

日本人の僕は「我慢して」とか「努力して」とか「周りの人もそうなんだから」とか言う言葉に引っ張られがちです。

良い悪いの価値判断は表裏一体でそれは違う言い方・見方をしたら良い面としてフォーカスされることもあります。

外国人とお話していると日本人の良いところなんてのも感じる機会が多々あります。

僕もこうは言っても、日本人として育ち(確固たる日本人としてのアイデンティティがある。)日本という国や場所が大好きで、日本人は日本で暮らしていくのが一番楽で守られているんだろうなという風に理解しています。

ただ、巨大企業が私たちの暮らしを便利に豊かにし始めている昨今、国という概念も今後もしかしたら希薄化していくのかもしれません。

昨今のウクライナ情勢も気になることところです。

今まで当たり前にあった「国」というものが、こうまで短期間に一気に危機に瀕するのかと、アメリカがイラクを侵攻した時以来の戦慄です。

よく、台湾やもしくは日本の尖閣、北方領土、(竹島)、などを引き合いに出してウクライナ情勢を語る記事もありますが、国とか人々とか、結構考えると難しいですね。

何かに依存しすぎることなく、しっかりと個で立ちながら、幸せに、この世に授かった生を謳歌する力っていうのはあったら良いんだろうなと思っています。

幼い頃父に「どこでもトイレができる様にならないとダメだぞ!」と汚いトイレで用を足すことに躊躇していたときに声をかけられました。その言葉はなんか結構今でも残っていて、よく自分の子ども達にも伝えています。

それは「トイレ」だけに当てはまることではなくて、「どこにいても幸せなマインドで生きる力」というのは今後生きていく上であったら良い力なのかもしれません。

「歩く」というところからだいぶ脱線してしまいました。

往復12キロ歩きましたが、今は程よい疲労感と、多分ですが程よい幸福感を感じています。

便利になりすぎて意識しないと運動不足になってしまう世の中です。

特に日本の田舎は車社会で、歩くということも意識しないとほとんど機会がありません。

ただ単に「歩く」ということが「贅沢」になっている世の中を「歩く」ということを通じて感じることが出来ました。

歩くのも良いなぁ

自転車も良いなぁ

そんな風に思いました。