ヒッチハイク考
40歳の夏
東京の吉祥寺で映画の上映があるというので上京することにした。
自身も登場する、この10年間向き合い続けてきた事について取り上げてもらったドキュメンタリー映画の上映で、こんな機会は滅多に無いという事で、菜生ちゃんにお願いして時間をもらった。
さて、行くと決めたもののどうやって行こうか?と考えたときに「ヒッチハイク」が思い浮かんだ。
一般の人で「ヒッチハイク」が移動手段の選択肢に浮かぶ人はそんなに多くない。
僕の中で今回まず頭に浮かんだのは「飛行機」「高速バス」「ヒッチハイク」だった。
それら3つの選択肢が横一線でスタートを切ったときに、一番最初にゴールテープを切ったのが「ヒッチハイク」だった。
何故ヒッチハイクなのだろう。
意外(?)にも今回の話を人に話すと多くの人が「ヒッチハイク」に引っかかってくれたので、自分でも少し考える機会があった。
色々あるが箇条書きしてみたいと思う。
・公共交通機関で移動するということは退屈な予定調和だ。予め予定を立てて、お金を払って、その計画通りに自分が動くという思い描いたものときっとさして変わらない結果が自分を待ち受けている。
それに対して
・ヒッチハイクという不確実性。何が起こるかは予め予想することは困難でそしてあまり意味は無い。交通量や物量などを考慮してなんとなくのルートは設定するがあとはめぐり合わせに自分の身体を合わせていく。
・イレギュラーバウンドに対応していく練習。目標は予め設定し、その目標に向かって如何に自分が動くかという言わば、大きな人生というものと照らし合わせる事も可能だ。人生とは予定調和をただこなすという事ではなく、自分で考えて自分の全細胞を活性化させるというのは時に刺激的で面白かったりする。
そういう意味では
・ヒッチハイクというのは1つのスキルであって、当たり前かもしれないが、ヒッチハイクにも「上手い」「下手」がある。
あまりヒッチハイクをしている人を見かけることは無いが、我が家にウーフにきた当時19歳だったこうちゃんのヒッチハイク技術は群を抜いていた。まるでタクシーを止めるかの如く次々に車を止めては目的地へと移動していく。彼のヒッチハイクを見て当時の僕は大いに刺激を受けたし、彼のヒッチハイクの型というのが僕の理想像として今も脳裏に鮮明に残っている。
・ただ目的地のボードを掲げて道に突っ立っているだけではなくて、車のナンバーを見たり、運転手さんや同乗者の様子だったり、目線の合わせ方だったり、自分の表情だったり、話しかけるタイミングだったり。サービスエリアでは誰に声をかけるかを見極めたり、とはいえ後半は手当たり次第にみんなに声をかけたり。自分の中でちょっと声をかけられなかった人が実は自分を遠くまで運んでくれるポテンシャルのある人だったのではないかという後悔の念と自分の中で勝手に作ってしまっているブロックの発見だったり。
と書いていくと色々と出てくる。もちろん
・所要時間に対する経済性
というものもある。ヒッチハイクは技術だが、自分の技術が高ければ高いほど移動の所要時間も短くなる。そしてお金も基本的にはかからない。
今回僕は映画の上映(と上映後の舞台挨拶)に向けて上京したので、乗せてもらった人には映画のパンフレットと尊敬する友人の手作りのポストカードを添えてお渡しするようにしていた。
・お話する時間
というものもある。現代社会においてどれくらいおしゃべりする時間があるだろうか。自分の事を話す時間、相手のおしゃべりに耳を傾ける時間。
僕は菜生ちゃんとお喋りする機会はあれども、それ以外の人と2時間3時間お喋りする機会というのはなかなかない。ヒッチハイクにはそれはある。元来僕はお喋りがそんなに得意な方でもないし、自分の事について喋るということもあまりない。ただヒッチハイクとなると、そういう訳には行かずに、自ずと自分の事について喋るし相手の事についても質問しお話を聞く。ちょっとした緊張感とちょっとした贅沢な時間だったりもする。
何と言っても平均すると2〜4時間くらい同じ車に乗るのだから、お喋りはマナーだとすら思う。乗せる方もそのつもりで乗せるし、乗せてもらう方もそのつもりで乗せてもらうので自然とお喋りしやすい環境になる。
ヒッチハイクは意外と体力がいる。
車を捕まえるまでにサービスエリアを延々と歩き回るし、乗せてもらったら乗せてもらったで基本ずっとお喋りしている。喋る力もそうだが、相手の事に興味を持って質問する力だったり、相手が気持ちよく喋りやすいような聞く力も育てられる。
「ヒッチハイク」は面白い。
今回、何故ヒッチハイクかということを思い出しながら書き始めたが、きっかけとなる動機を書き忘れていたので最後に記しておきたい。
「ヒッチハイクの出来る国」というキーワードだ。
最近我が家を宿として運用するようになったが、有り難いことに世界中の国からお客さんが来てくれる。その中には世界を旅している中で日本の鳥取の我が家に立ち寄ってくれる夫婦や家族がある。そんな人達と色々な他国の話をする中に「日本はヒッチハイクが出来る環境だ。」というフレーズがあった。ニュージーランドもヒッチハイクのし易い国であるが、日本もそのうちの1つだという話だった。
そうか、日本はヒッチハイクが出来る国だなと何か合点が行くような思いだったし、確かに治安とか色々なことを考えた時にヒッチハイクをためらう国や環境というのはある。
ヒッチハイクの出来る国、日本で「ヒッチハイクをしてみよう!」というのが今回の源流だったように思う。
実際にしてみて(今回は智頭の家から東京の実家まで6台に乗せてもらい15時間かかった。)、学生時代にヒッチハイクをしていた時と比べて、ちょっと人が乗せてくれにくくなったなとか感じたりもした。それは相手が変わったのか僕が変わったのか、それとも両方なのかは分からないが、「ヒッチハイクの出来る国」というのは、どこか人々に余裕があって、寛容で、治安も良くて・・・ということがあるのだと思います。そう思った時に「ヒッチハイクの出来る国」というのは人に自慢出来ることだなぁと思うので、大いにヒッチハイクを応援したい気持ちで今回40歳のおじさんになった僕が東京に行く際にヒッチハイクをしようと思って行ったのでした。