慣れない環境での日々
2週間ちょっとの春休みが終わって、また昨日から学校の日々が始まりました。
春休みの終わりが近づくにつれてプレッシャーを感じて元気がしぼんでいくような感じの泰ちゃん。
昨日の学校が終わってからも、フラフラな感じで、どこかストレスからイライラしているような様子も。。。
そうだよね、分かるよ、大変だよね。
「英語さえ出来たらなー」が最近の彼の口癖。
そうだよね、言葉が出来ないだけで凄いストレスだよね。
親として近くにいて、どうにかしてあげたい気持ちと、その今のこの大変さは後々すごい糧になるから頑張ってって応援したい気持ちと。
(言葉が出来ない人の気持ちはずーっと日本で過ごしていると感じにくい感覚かもしれないし、当事者の気持ちは当事者になってみないと分からない。色々な人の気持ちに寄り添う優しさはもしかしたら自分もその当事者になってみて初めて本当に培われるものなのかもしれない。)
ほとんど、僕と菜生ちゃんの「結婚して家族が出来たらいつか外国で暮らしたいね。」という親の気持ちで引っ越しを決めてやってきたニュージーランド。
自分で選択した事ではない事によって訪れる困難に対してなかなか忍耐も効かない面もあるのだろうと思います。
僕も小学生の時に親の仕事でカナダに住んだ経験があります。
日本の友達と離れてしまうことも当時ちょっと寂しかったし、日々通う現地校は最初言葉が出来ずに苦労もしました。
泰ちゃんと「別にトイレ行きたくないけれど、ちょっとしんどくなったらトイレ休憩するんだよね。」というトイレ作戦はまさに僕も当時使っていた戦法で、そんな話で親子盛り上がる日が来るなんて、なんか面白い感じがしました。
出来るだけゆっくり歩いたり、出来るだけ遠くのトイレに行ったり・・・
それでも、親にしてもらった数々の事のなかでも、あの時家族でカナダに住んだ時間はとても貴重な経験で、大きくなってから、あの時、あの時間を家族で過ごせて良かったなと思える、僕にとってはそんな時間です。
同じ様に泰ちゃんが、そして娘たちが感じてくれるかどうかは分かりませんが、「良さそう!」と思うことをその時々で積み重ねていくことしか出来ません。
僕も僕で40になってから新天地で暮らすことはなかなかに刺激多き毎日です。
野ちゃんは色々とコミュニケーションに苦労している部分はあるだろうけれど、淡々と過ごしているようにも感じます。
自分は「学校の休み時間は、公園の雲梯(うんてい)で遊びたいんだけれど、友達に一緒に遊ぼって声かけられる。」というのが最近の彼女の悩みでしたが、昨日の昼休みに覗いてみると1人で公園の雲梯で黙々と遊んでいました。彼女の手の平は今は雲梯でマメが出来ていたり、昨日は皮が少しめくれていました。雲梯が楽しいんですね。ひたすらやっています。
友達にガールスカウトみたいなものに一緒に行かない?と誘われて今度一緒に体験にいく予定です。
言葉が出来なくても、友達が出来ていて美しいなと思います。
泰ちゃんも、野ちゃんも、東京で足止めを食らっている菜生ちゃんたちも、みんな大変なことはあれども、きっとこれが後々良い思い出になるんだろうな、良い思い出になるように、日々誠実に生きていきたいです。
どこでも楽しめる力、過去の経験を肯定していく力というのは大事な力なんだと思います。
あせらず、あわてず、あなどらず、あてにせず、あきらめず
5つの「あ」を時折意識しながら、着実に日々を過ごしたいと思います。