日々の暮らし

獣害処理施設と僕

ニッチ(生態的地位)・・・1つの種が利用するあるまとまった範囲の環境要因のこと。

あまり人が価値を置かなくなったもの(おかないもの)に価値を見出し生活していく。
子どもが小さいうちは不自由な生活(プロセスの見える生活)をしたい。
そんな思いで生活している側面もある。
人々が価値をおかないものだと、割と簡単に手に入れることが出来る。
当たり前だが、その逆だと手に入れるのに多大なエネルギー・時間・お金などを要する。
薪なんかはそう。
昔の人は戦後大造林といってせっせと山に入り木を植えた。
今の70代くらいのおじいちゃん・おばあちゃんからは当時の山の話を聞ける。
60代になると、山に入ったことが無い人の方が多い。
(牛と共にあった生活となるともうほとんどその話は聞けない。)
せっせと植えた木が今伐期を迎えているが、山に入って木を伐ろうと思えるほど木の値段は高くない(安くなってしまった)。
とりあえず切り倒し間伐だけして木はそのままみたいな山も目にする。
木が鬱蒼として暗い山も多く見かける。
もったいない。
生活の中に木を利用することが無くなっていってしまった。
生活と山とが遠くなってしまった。
我が家ではエネルギーに薪エネルギーを使う場面がある。
(薪風呂・薪ボイラー・薪ストーブ)
地域で木が切られたり、間伐された木だったり、声をかけてくれる人たちがいる。
「木いるか?」
そうして木を集めている。
今日は8月2日。
この冬の分の薪は集まった。
後は来シーズン用の薪。
薪ボイラー・薪風呂に使う薪は細かい薪が重宝する。
近所の製材所さんは奇遇なことに娘さんがダウン症。ダウン症つながりで2年前くらいから仲良くさせてもらっている。
製材所で出る端材をもらってきて4,50センチにカットして裏に積んでいる。
軽トラ2台分くらいでこれだけ。
あと1回取りに行かせてもらおうかな。
その製材所さんが「唐箕(とうみ)いりますか?」と薪と一緒に唐箕をくださった。
可愛くてオシャレ。
これで、豆やソバや麦など風選が出来る。
近所にこの春獣害処理施設が出来た。
薪と一緒で、今までは山に放棄されていたシカがその施設に運ばれるようになった。
僕も7年前狩猟免許をとって近所のシカをとっていたが、仲間の猟師さんがシカをとって山に捨てていたので、自分では捕らずにその猟師さんからシカをもらうようになった。
ただ、今回その施設が出来たことによって、取られたシカ(やイノシシ)などは全部そこに運ばれるようになった。
地域・社会としてはそれはそれで良いことだと思う。
今まで使われていなかった資源が有効活用されるようになるので。
ただ、我が家でシカ肉を食べる機会が無くなってきた。
タダでシカをもらってきて捌いて食べていると、スーパーで白トレーに入って売られている肉を食べるのに若干の抵抗感を覚えるようになった。
「猟師さんがとったシカを山に捨てるくらいならば、それをもらえば良いよね。わざわざ山に入ってシカを捕まえて殺して食べることはないよね。」
というバランスでここ数年生活していましたが、このお肉問題については家族で折に触れて話あっているところです。
お肉が手に入りにくくなった。
薪も手に入りにくくなっていくだろう。
そういった似たような価値観を持った人たちが多く移住してきている。
個人的にはもっと山との繋がりを太くして生活を紡いでいきたいと思っていますが。
そういう力を自分自身につけていきたい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です