日々の暮らし

出生前診断

12月17日午後
娘はチアノーゼになり、病院に緊急搬送された。
僕と息子は、実家に残る妻娘と別れて、自宅に帰っている最中のことであった。
帰宅して折り返した電話口の妻の声は震えていた。
「楓ちゃんが、楓ちゃんが・・・」

そのときの胸のざわめきは忘れない。
とんぼ返りする僕と息子。
あいにくの吹雪。
自宅に帰るのもやっとだった道のりを、また折り返す。
いつも通る道は通行止めで、もう一つの道を通る。
普段なら2時間程度の道のりが、4時間近くかかった。

2歳の息子もなんだかただならぬ空気を察知したのか、神妙に車の後部座席に座っていた。

夜11時
病室の妻と娘と対面

泣き崩れる妻と、呼吸補助ヘルメットをかぶり目を閉じ眠っている娘。
シューシュポ シューシュポ 
となるヘルメットの音が病室に響く

ことの深刻さに、「僕はここで冷静でなければいけない」という想いが、自然と僕を支えていた。

「出生前診断」という言葉がある
お腹の羊水から、お腹の赤ちゃんに異常がないかどうか検査するものである。

僕がその言葉を初めて聞いたのは高校2年生のとき
現代社会という科目に教育実習の先生がやってきてその話をした。
「ノーマライゼーション」というテーマの中で出生前診断の話が出てきた。

僕はその先生はとても印象に残っている。
前髪パッツンのサラサラヘアで風貌からして特徴のある先生だった。
秘めた想いがあり、一生懸命伝えようとしてくれるなかにユーモアもあり。
その先生は
「もし、妊娠初期にお腹の赤ちゃんに障害があることが分かったとしてあなたなら産みますか?」

という質問をクラス42人の生徒全員に聞いた。

「産む」
「産まない」

半分が答えたあたりで僕の番が回ってくる。
ずっとずっと一生懸命考えたけれど、答えはわからなかった。

僕は
「分かりません」
と答えた。

その授業の後、友人から「分からないって答えはないだろう。」って言われたが、当時はどう考えたって分からなかった。

娘の出産間際になって、大野明子さんの「選ばないことを選ぶ」という本と出会い夫婦で読んだ。

大野さんは東京大学で無機地球科学を専攻し博士課程を修了した後、自分の出産、育児の体験から産科医を志し、そして自分で「お産の家」という出産施設を作ってしまうというその世界では有名な人だ。

本の概要としては、「奇跡のような縁で生まれ大きくなり、出産に至る。どの命も素晴らしく障害があってもなくても、その子の存在はただそこにあるだけで素晴らしい」というような、生そのものを美しく肯定する本だった。

その本を読んで妻は嘘ではなく本当に
「この本を読んだらダウン症の子が欲しいとさえ思った。」
と言っていた。

生まれてみたら本当にダウン症の子どもで僕たちは驚いたものだ。

さて、それでも実際に生まれてみると色々な情報を知りたくなるもので、色々な本を探しては読んでみた。
アマゾンのブックレビューをひらいてみると、大野さんの本は「障害があるっていうことを直視していない」というようなレビューも多々有り、評価は低め。

色々、アマゾンの評価を見ながらそれ関係の本を読みあさる日々が続いた。
どの本もそれなりに勉強になったり、感じることもあったが、やっぱり、大野さんの生と向き合う姿勢というのは素敵な何か、これから大事にしていきたいと思うような1つの姿のような気がしている。

「出生前診断」
ある一つの特徴を排除するような社会よりも、多様なものを包み込める懐の広い社会であって欲しいと願うとき、出生前診断で生まれてくる赤ちゃんを選別するというのはやっぱり抵抗がある。

娘を授かってまた強く思うことがある。

子どもを授かるのが当たり前ではない
みんながみんな元気に生まれてくるというわけでもない
元気に生まれてきても病気や怪我で障害をもつこともある

今まで「あたりまえ」と思っていたことの一つ一つが実は「ありがたい」

娘を授かって今までと風景の見え方が変わった。

この感覚はいつまでも大事にしたい。

「ありがたい」ことが「あたりまえ」にならないように。

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