日々の暮らし

家から離れるよさ

家は家でやることがたくさんある。

昨日はとても良い天気。

楓ちゃんは前日の地元小学校との交流がとても楽しかったみたいで、幼稚園時代の同級生と「一緒に遊びたい!一緒に遊びたい!」と帰宅してからずーっと訴え続けるほど。

そんなこともあって、朝からその友達のお家に僕と娘3人でお邪魔して一緒に遊ばさせていただいた。

その間菜生ちゃんは家の片付けをしたり、泰ちゃんがお菓子を作ったりして過ごす。

その日は「とりあえず家から離れて街に行こうか!」とそれだけをなんとなく決めていた。

僕と娘たちが帰宅した時は泰ちゃんはまだお菓子を焼いていたので、それが焼き終わるまで僕は庭木の剪定、菜生ちゃんは玄関前花壇の手入れ。

お花をいじるのがとても楽しい様で「良い趣味が出来た!ありがとう!」と言われる。

「ありがとうと言ってくれてありがとう。」と返す。

庭木の剪定とかまだずっとずっとやっていられる!と思ったが、泰ちゃんが焼き終わったタイミングで車に乗り込み出発。

特に何か当てがあるわけでは無い。

「それならば家にいてあれやこれやしている方が有意義なんじゃないか。」と頭ではよぎったりするのだが、「現代の人は頭で考えすぎている。もっと感覚に素直に生きても良いんじゃないか。」というのが最近の夫婦の合言葉の1つ。

とにかく一番おでかけで頭を悩ませるのが、「どこに行けば良いのか?」

どこか遊びに行くにつけても、何かを食べるにしても、誰に照準を合わせたら良いのか?

結局最大公約数的な「公園」に行ったり、「ファミリーレストラン」に行ったりすることが多い。

街に出ると「ポテトが食べたい!」の大合唱の楓野。

マクドナルドのポテトがとにかく好きの様だ。

イオンのフードコートでお昼を食べて、別のイオンで泰ちゃんと楓ちゃんは髪を切って(イオンからイオンの梯子!)、近くの公園で遊んで、砂丘に移動して、近くの温泉に入って、ファミレスでご飯を食べて、子どもを寝かしながらスーパーで買い物をして帰る。

というコース。

砂丘に夕陽を見に行くというのが最近のブームだがこの日は雲に隠れていた

何ってことは無い言ってしまえば消費的な休日。

でも、「家から離れること」そして「家から離れることによって、生じる家の外での夫婦の会話、親子の会話、家族の時間。」そんなところが家を離れるにあたっての最大のメリットかもしれない。

家の時間は家の時間で良い

家の外の時間は家の外の時間で良い

昨日は家の外に出て、「大山も綺麗かもね。」なんて話をした。葦津も綺麗かもしれない。個人的には神鍋高原のキャンプ場にも行ってみたい。

キャンプも良いなぁ。

目的ある外出を今度は計画しようか。

外に出たら出たで、子どもたちのそして妻の外の顔と出会えてそれが楽しい。

それにしてもこのフルメンバーで外出するのはなかなか骨が折れる。

なかなか思う様に事は運ばない。

自分を持とうと思うと苦しくなることがあるから、無私の境地でいることがうまく事を運ぶコツだったりもする。

あまり予定を詰め込まず、ゆっくり公園やキャンプ場で過ごすのが良いのかもしれない。

そんな家族の時間の過ごし方の練習。