ニュージーランド,  学校,  日々の暮らし,  海外移住

マオリの人々

ニュージーランドに来たら親しみたいものの1つに「マオリ」というものがありました。
日本に置き換えてみると「アイヌ」というとニュアンスは近いのかもしれません。

資本主義社会の大量生産・大量消費のカウンターカルチャーとして「ネイティブインディアン」や「アイヌ」などの文化が脚光を浴びたりします。
イギリスでの産業革命前は今のように資本主義が大きな力を発揮せずに人々はもうちょっと緩やかな変化の中で暮らしていたのでしょう。

僕もそういう「持続性」のラインで語られる「プリミティブ(原始的)な暮らし」というものに興味があります。

マオリの人に僕が初めて触れたのは鳥取の農林高校で講師をしているときに、英語の先生がニュージーランド人で「マオリ」の人でした!

当時の僕は「マオリ」と聞いて「え!?」と驚きが大きく、それはあたかもオーストラリアの先住民「アボリジニー」と言われているような、それに似た感覚でした。とても珍しかったのですぐに「友達になろ!」と言って友達になったのを覚えています。

10年ぶりの再会

このブログでも何回か言及していると思いますが、ニュージーランドという国は新しい国で、ヨーロッパの人々が移住し始めたのが、たかだか200年程前、ポリネシア系のマオリの人々が移住し始めたのが約800年ほど前。

それまでニュージーランドには2種類の哺乳類しかいなかったという、そんな不思議な島国。
(羊ももちろん有名ですが、羊だけじゃない!!)

泰ちゃんは先日学校でマオリのMaraeという施設(日本で例えるならば地区の公民館とお寺(神社)を足し合わわせたようなそんなイメージでしょうか。)での宿泊研修がありました。

Maraeの建物についてだったり、彫刻、編物、ハカ、カヌー体験、などなど、校長先生がマオリということもあって、マオリの先生たちがリーダーシップをとって宿泊研修をリード。

今の政権はどちらかというとマオリと距離を取ろうとする、マオリにとってはアウェイな政権の様ですが、それでもニュージーランドという国がこうしてプリミティブな文化を色濃く持つマオリという先住民族にリスペクトを持ち、共存の道を採っているのはとても興味深い事実として、その1点だけを切り取ってみても、僕は本当にニュージーランドという国や人々に触れることが出来て幸せに感じています。

カヌー体験

ニュージーランドに家族で移住ってなると「英語」というものにフォーカスされがちで、もちろん「英語」が身についていくことはとてもポジティブなことだと思いますが、それ以外にこうして一見今の資本主義が隆盛を誇るこの社会であまり意味ないんじゃないかと思われがちな「ハカ」だったり「マオリ語やその文化」が自身に沈殿していくというのは価値があるんじゃないかと個人的にはそのように思います。
(僕もそういえばカナダに住んでいるときに社会科の授業で「ネイティブインディアン」について学んでいたのを思い出します。)

異文化共生

この学校に身を置いていると、実に多様な文化背景の人たちとの交流があります。
南アフリカ、イギリス、オランダ、マオリ、インド、中国、大洋州、韓国、アフリカ系、日本

日々この多様性に触れることによって日本でよく使われている「普通」という概念が希薄であるということをまざまざと実感します。「普通」というものは無い。

全てが違う。

それは日本の均質性と対極にあるような、みんな違うからこそ自分というものにフォーカスされる。
自分は何が好きで何が得意で、どう自分の人生を生きていこうか。

世界は多様な彩りの中にある。

英語での暮らしは、英語が第一言語ではない僕たちにとっては大変な部分もありますが、何か英語だけではない、それ以上に大きなものを毎日もらっているような、宿泊研修では多くの先生がそして保護者や地域の人達が子どもたちに何かを伝えたい、与えたいと研修を運営してくれていました。その大人たちの子どもたちに対する気持ちが胸熱でした。

Hutia Te rito o Te harekeke

日本の蛍の光のメロディで歌われるマオリの歌があります。

ハレケケというユリ科の植物が中に中に新芽を出して古い葉は外に外に広がっていくのですが、その植物になぞらえて、大人たちが周りから子どもたちの成長を見守り育んでいくというような歌詞の様です。

ここで出会う人達との交流がとても面白いです。

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