
生き延びる
大好きな友人がいる。
その友人はお坊さんをしている。
お坊さんと言ってもお寺に籠ってお勤めしているという訳ではなくて、世俗の中で暮らしている。
日本の有名な大学を卒業後に永平寺で修行、「下界」に降りてきてそれから生活している。
東日本の震災を機に智頭に移住してくるかなという感じで智頭に来た事もあったけれど、結局流れでドイツのベルリンへ。そして何だかんだそこで10年暮らして今は福岡県に子ども5人と奥さんと一緒に住んでいる。
彼ならばいかようにも(有名企業に勤めてとか)生きていく選択肢はあっただろうと想像できるが、お坊さんとして暮らしている。
ドイツの時も、今現在もいわゆる「定職」に就くという事もなければ、お坊さんとして暮らしている。(お坊さんを職業とするならば「定職」についているのかもしれないが、彼の場合は檀家さんからお金をもらって・・・などというような安定的な収入源が無い。)
そんな彼の事について僕は普段の生活の中でふと思いを馳せる時がある。
去年会った時に「今後どの様にしていくの(今後のビジョンは?)」なんて尋ねた時に、彼は少し考えた後に「生き延びる。かな。」と応えた。
「生き延びる。」こと。
暮らしていると面白い人(ファミリー)との出会いがある。
カナダ・オランダと暮らしてきて今は智頭に暮らしているファミリーもいる。
ニュージーランドで出会い、東京で暮らした後に智頭でケーキ屋さんを始めたファミリーもいる。
妹家族は、智頭で1年暮らした後にドイツへと戻ってそこでの暮らしをスタートさせた。
死ぬまでの時を想定して、そこから逆算して歩んで行く人生よりも、「生き延びる」という事を積み重ねていく人生に惹かれる今日この頃。
「やらずにはいられないことをやる。」
多分これをキーワードに暮らしていく事がポイントになっていくのだと思う。そうでないと完走するのはしんどいこと。
頭で考える「タスク」から離れて、もっと心の方の声に耳を傾けてみる。
与えられた命という時間で紡いでいきたい時間のありよう。
豊かな自然の残る知床に身を置きながら、「生き延びる」ということについて考えてみた。
逆算的に生きるのをやめる。
やらずにはいられない事に耳を傾けてみる。
日々の暮らしの景色が変わる。
「生き延びる」という言葉が少し腑に落ちた様に思う。

