歩みたい人生
「面白いな!」と思える事柄は人によって異なる。
この40年ほどヒトとして生まれ生きていく中で、生まれた当時と今を比べると驚くほどの変化がある。
昔に「こんなのがあったら良いなぁ、こんな風だったら良いのに!」と想像することの多くはその様になっているような気もするし、思いもよらなかった様な事が実現してはヒトの生き方自体が変化してということも目の当たりにしているように思う。
特に、「こうであったら良いのに」という快・不快の情動的な事柄に関しては、時代や地域、種など様々なボーダーを超えて共有出来る部分もあって、きっと前進したり後退したりしながらもそれでも確実に振り返った時に大きな前向きな歩みを感じる。自分が「良いな!」「面白いな!」と思えるもの、感じるものにコミットしていくことはとても大事な事で、逆にそうで無い時間を過ごすほど人生の時間は長くは無いと思う。それが許される環境にある人は出来る限りその様に人生で与えられた時間を過ごして行くのが良いのではないだろうか。(紛争地域、極度の貧困によってそれが叶わないヒトも勿論いて、それらについては全人類の課題として向き合って行くべきものだと思う。)
僕は僕の人生を歩む中で本当に色々な出会いがあった。最初の頃は身近な家族や親戚、保育園や学校で出会う人たち。自分で歩くようになってからはより多様な人たちとの出会いがあった。たくさんの人たちとの出会いの中で、どうしても心や頭にこびり付いて離れない、そんな出会いも時にある。パッと「すごい!面白い!素敵!」という即効的なものもあれば「よく分からない。奇妙。不思議。」とその時は自分の中で咀嚼しきれない様なことも後からじわじわと効いてくるものもある。でも、そういった出会いが自分の心には何かを語りかけているように感じて、それはワードにしてみるとある時期は「自給自足」で「自分で野菜や米を作ったり、食べれるものを採集したり、家を自分で建てたり、動物を飼って一緒に暮らしていたり・・・」な時もあれば、ある時は「海外移住」で「オランダで子育てをしていました。」という老人にひょんな事で繋がりその話が頭から離れなかったり。なんとなく海外で家族で暮らしてみるということが、心に残ってずーっと離れなかったというのが今回のニュージーランドへの移住にもやっぱり繋がっているんだろうなと感じています。
新しい事に挑戦する時にはたまに周囲から「え?!なんで?!」と言われることもあります。
でも、なんか理屈ではなくて「人に言われなくてもやりたい!」って思えることを多分し続けて行くことが大事なんじゃ無いかなというのが最近の思いで、逆にそうでないと結構(今の日本の)ヒトの人生ってしんどいのかなとも感じたり。それに対していかに社会性を持たせて行くか、ということなのかもしれません。その色付けの具合は多分センスの領域かもしれなくてその辺のバランス感覚は面白いところでもあります。
最近世界の人口が80億人を超えたという話題がありました。
日本やここ智頭町は人口減少に歯止めが効かない状況ですが、グローバルに覗いてみると人口は増え続けています。
それだけの人間模様があって、それぞれが色々なことを考えながらそれぞれの人生を歩んでいると想像すると途方もないです。上手に歩みたいように人生を歩んでいくことは時に力が必要で、自分にも、そして自分の子どもたちにもその力が備わるように意識しながら日々を過ごしていきたいものです。
今ここでの暮らしはとても快適ですが、ここにとどまることは新たに挑戦することで得られることを失うという、どの時期においても選択にはトレードオフの関係が働いていて、それらについて考えることは興味深いです。
今回、「ニュージーランドへ家族で引っ越す」と決めて、色々な変化が今現在でさえ多々ありますが、今からとても楽しいです。上手に移住出来たとしたら、困難な事も多いかもしれませんが、楽しいこともたくさんあるのではないでしょうか。
挑戦からしか見えない景色があるというのも最近感じている事です。
身辺整理をしているところですが、自転車も手放すことにしました。テントなども手放すことになるでしょう。どこまで身軽になるのでしょうか。
今日は菜生ちゃんに許可をもらい近所の山頂にテントを張ってひとり夜を明かす予定にしています。
雑感でした。