日々の暮らし,  休日

登山

ニュージーランドへ引越すと決めてから、今まで日常的に見えていた景色や感じていた時間の見え方や感じ方が変わってくるから不思議なものだ。

今年は米作りもお休みして物理的にも精神的にも余裕のある1年を過ごした。

智頭町内の山を登りたい。そして出来るならばテントを担いで山で寝泊まりしながら歩きたい!という気持ちがあったが、お手軽に1泊のプランで実行した。

狙いを定めたのは町内の籠山という標高905mの山だ。

年に1回町報にハイキングの案内が挟まれる様な有名な山だが、11年間町内に住んでいて1回も登ったことが無かった。(そもそもそんなに登山をする機会も作っていなかった。)

日中の娘の幼稚園行事で我が家でピザパーティをした後に15時に入山開始。

整備された登山道

入り口にはパーキングがあり、そこに軽トラを止めて登山開始。他に車は無く、入山しているのは僕1人だった。パーキングは標高500mのところにあり、標高差400mほどの登山で情報によると登りに約2時間、降りに約1時間ほどの登山の様だった。

最初から整備された登山道が広がり、終始眺めも良くて気持ちの良い登山だった。

友人に1人用テントを借りて、冬用の寝袋を携え、ガスコンロ、鍋、銀マットなどを背負い、登っていった。

途中急峻な近道と緩やかな回り道があり、往路も復路も回り道を選択。眺めが良くて気持ちの良い道で、なんだか人生とも重ね合わせてしまう。旅や登山をよく人生と擬える人がいるがそれはとても気持ちが分かる。

夕日と山頂

ほぼ予定通り2時間で山頂に達し、暗くなる前にテントの設営、そしてじきに夕日が山に沈んでいった。

開けた視界に遠く鳥取市の光とその向こうに日本海も望む事が出来た。

早めの夕飯(カップラーメン)を摂り、テントに潜り込む。

傍には星野道夫さんの本。

ヘッドライトはまさかの軽トラに忘れてくるという凡ミスを犯したが、携帯のライトで読む。

読んでいるうちに眠くなり、意識を失うように眠りにつく。

時折聞こえる風がテントを撫でる音、下界で汽車が通り過ぎていく音が遠くで聞こえる。

途中トイレで目が覚めテントの外に出てみると満点の星空。チベットで見た星空の事を思い出す。

下山中に朝日が顔を覗かせる

朝ちょっと明るくなってきた頃にテントをたたみ撤収作業。
お湯を沸かしてポタージュスープを二袋飲んだらリュックを背負い下山。朝の6時。
途中山あいから朝日が登ってくる。

昔の人も見ていたであろう景色

何を考えるともなく下山していると、急に周囲の笹を移動する何か動物の気配。
どうも大きなその気配に、意識はそちらに集中する。
リュックから吊るしていた鍋をカンカン鳴らしたり、「オー!」「オー!」と声を上げてこちらの存在を伝える。笹が動く音を聞くとなんだか大きい!熊?鹿?猪?アナグマ?タヌキ?キツネ?様々なケースを想定しながらこちらの存在を伝えながら相手の気配についても神経を研ぎ澄ませる。

その気配は山の下の方下の方へ降っていくのを感じたが、こちらの存在についても継続的に相手に伝えては、向こうの気配についても意識を凝らす。

笹の動く音は聞こえなくなったが、下山しながら「オー!」と声を発していると、ある地点で「グルルルル」とチェーンソーや草刈機を始動する際の音に似た低音が返ってくる。
こんなところでチェーンソーや草刈機を使う人はいない。そもそも人間はこの山に僕1人なはず。
僕が再度「オーゥ!」と声を発すると、やはり山の下の方で「グルルルル」と同様の音が返ってくる。再度試してみても同じような音がそのすぐ後に返ってくる。これは偶然ではない。

そして今度は上からも聞こえてくる。

姿は見えないが熊だ!と思った。

色々な事をシミュレーションしてみる。いざという時の事を考える。

どうやら僕の位置より上に1頭、下に1頭熊がいる。もしかしたら母と子の間に位置するというちょっとまずい状況なのかもと神経を研ぎ澄ませる。

僕の「オーゥ!」という声にはなるべく緊張を乗せず、自分の位置情報と、自分はただこの道を下りたいだけという気持ちを込める。

その「オーゥ!」という言葉に毎回「グルルルル」という声が返ってくるのだが、その声も何か僕に伝えてくるものがあるような、熊と何か会話しているようなそんな不思議な感覚。熊の声はそこから移動する事なく、僕も遠ざかりながら自分の存在を伝えていく。定期的に声かけしながら慎重に歩を進めていくとある地点でもう返事は返ってこなくなった。

二十歳くらいの時に星野道夫さんの「森と氷河と鯨 ワタリガラスの伝説を求めて」という本を読んだ時の事を思い出す。そこには確かネイティブインディアンが動物と言葉を交わす描写があった。当時の僕にはピンと来ずに、とても読みにくかった印象を覚えている。ただ、今になってみればそういった世界観について興味もあれば、きっと太古の昔、人々は動物とも話をしていたというのにもどこか頷けれる自分がいる。

近代文明によって人類は多くのものを得たということは確かだと思うが、同時にやはり失ったものもあるだろう。そしてそのように急速に失われているものに対して何か特別な思いを感じる今日この頃です。

たまに自然の中に身を置きたくなる

原始的な暮らしをしている人々、自然と共に暮らしている人々、そんなものに興味のある今日この頃。

ニュージーランドではマオリの人々の事が気になります。
マオリの言葉を話す人は5万人ほどだそうです。人口比率でいったら1%くらいなのでしょうか。
それでもニュージーランドはマオリの人々の事を尊重しているイメージがあります。

それにしても貴重な体験をさせてもらいました。
何事もなくて何より。
そして程よい運動になりました。
またいつか機会をうかがって山に入りたいです。