日々の暮らし,  学校,  ニュージーランド,  雑感

昨日の土曜日

父親をしていて子どもたちの本音がポロリの瞬間はたまらなく愛おしい。

「お父さんが小さい頃はどんな感じだった?」と野ちゃん。
最近は夜の寝かしつけはベッドで本(英語だったり日本語だったり)を読んで一緒に寝ています。
「え?どんな感じって例えば?」
「例えばめんどくさがりだったとか。」
最近は3人暮らしが長くなっていて野ちゃんは末っ子的な存在に。
6人で住んでいる時はなんでもしっかりきっちりしているような印象と存在だったように思いますが、3人で暮らし始めるとなんだか、ダラダラしていてお家のお手伝い(玄関掃除とかテーブル拭きとか)をなかなかせずに泰ちゃんに急かされたり、脱いだ物や野ちゃんのものがリビングに散らかっていたり、となんだかんだ甘えん坊の様なポジションになっているような気がします。
だから自分でも自分はめんどくさがりであまり物事をチャキチャキ出来ないという風に最近は認識しているのかな?
「いや、お父さんが野ちゃんの年齢の時は、本当に何も考えずにただひたすら遊んでいたと思うよ。小学校に入ったら学校から帰ったら宿題はしていたかもしれないけれど、保育園の時は宿題もなかったし。。。そういえば、野ちゃんも日本だったらまだ年長さんだもんね。」

「野ちゃんは大きくなったらお父さんみたいに色々出来るようになれるかな?」(野)

「出来るよ!野ちゃんは本当にしっかりしていると思うよ。お父さんも大学生で1人暮らしするようになって、やっと色々料理とか洗濯とか自分でするようになったから。」

「野ちゃん1人暮らししたくない。」

。。。

6歳の野ちゃん。
漠然と将来の自分に不安になって夜寝る前にシュンとなってしまったみたいです。
僕も泰ちゃんも知らず知らずのうちに野ちゃんに期待し過ぎてしまっていたのかなと、少し反省しました。
もっと安心してゆっくり大きくなったら良いんだよ。大丈夫だよ。と切に思います。

普段ダラダラとしている息子や娘を目の当たりにすると「あーもう!」とイラッとしたりもしますが、もう少し大らかに見守っても良いのかもしれません。
バランスですね。

泰ちゃんも一時期「運転免許取るのって難しい?」とやたらと自動車免許取得のプロセスについて尋ねてきたりしていた時期がありました。

彼女、彼なりに将来をぼんやりと見据える瞬間もあるのかもしれません。

子どもたちとの時間から、僕の子ども時代の事を思い出したりもします。
僕も確かに昔は子どもでした。

最近はポッサムがよく捕まるので、ポッサムの皮なめしに生徒と取り組んでいます。
フサフサの毛皮を手に入れるのが目標です。

久しぶりに取り組んでみると、改善点がいくつも見えてきたりして、もっともっとと思ってしまいます。

第一弾の経験を踏まえて今は第二弾。

皮なめしのプロや達人にアドバイスを仰いだりしながら、改めてこの世界に足を踏み入れています。
今のところのモチベーションは高いです。
ただ捕まえたものを土に埋めるのではなくて、その生命となるべく向き合いたいなというのが趣旨です。

(最近は僕が学校で猫車を押していると「ポッサムいるかな?」と生徒や先生が覗き込んで来るようになりました。笑)

やっていることは智頭にいた頃とあまり変わっていないなと思ったり。

生徒と一緒に捌いたり、それらを学校の先生や生徒が見学に来たり。

僕も動く中で、得意なことと不得意なことが改めて鮮明になったり、やりたいこととやりたくないことがくっきりしたり。

今は沢山の新しい出会い(人や世界)がとても楽しく刺激的です。

昨日の教材研究は「皮なめし」でした。
泰ちゃんに「家庭に仕事を持ち込まないでよ。」と軽く注意されましたが、仕事のような趣味のような。
朝、子どもたちが寝ている時にせっせと皮についた肉と脂をこそぎ落としていました。
(ポッサムの脂で手がしっとりしましたよ。)
そんなに子どもたちが起きている時に「仕事」していないと思います。

昨日はフリスビーを買って裏の広場で遊びましたよ。

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