日々の暮らし

一気に命あふれる感じになるここ日本の春

水に漬けていた種もみ(イセヒカリ・クロマイ・ヒメノモチ)を苗箱に移す。(4月16日)

2条植えの田植え機を頂いたので去年から苗場箱に播種しているが、この苗作りというのがなかなか思うようにいかない。(なかなか思うようにいかないことの方が面白かったりする。)
奥が深い。

今年もまた数十年耕作放棄されていた田んぼを借りて開墾している。
この田んぼは水路も埋まってしまっていたので、水路を掘り直すところから。
田んぼは水遊び・泥遊び。
ずっと水が引かれていなかった田んぼに初めて水が入っていくときの、あの感じが快感である。

畦もとられていたので、畦を作るところからやっている。
毎年毎年やっているような気がするが、一度作ってしまえば次年度からは楽になる。
都会育ちの僕は、田んぼに水を入れたら入れた分だけ溜まるとどこか思ってしまいがちだが、田んぼの水は、下に、横にどんどん抜けていく。その水をいかに留まらせるか考えるのもまた面白い。
水持ちを良くしないと水温が上がらずにイモチ病が発生しやすくなる。

去年開墾した田んぼ。
勝手が分かっているので手がかからない。
泰ちゃんは最近お隣の子どもと良く遊ぶようになった。
近所に同じ年頃の子どもがいるのは本当にありがたいことだ。
また、近所のそのような家族が引っ越してくるかもしれなく、それもまた最近の楽しみでもある。

自然とこうして田んぼで泥遊びするものだから微笑ましい。
いつまでこのような感じだろうな。
近所の家は大きくなったお兄ちゃん、お姉ちゃんが田植えの時は帰省するなどして家族みんなで田植えする風景がある。
そんな風景を我が家でも目指していきたい。
今年は去年よりも旨いコメが作れたら良いなぁ。
やるからにはそこを純粋に目指したい。

水着を着て代掻きを手伝ってくれた。

昭和の日はキュウレンジャーが来るということで子どもの国へ遊びに行った。
何故か戦隊もの大好きで、良く知りもしないのに憧れている息子。
ショーの途中、ヒーローがピンチになると、わが身の危険を察知してか「もっと後ろへ行こうよ。」と不安げに母親のシャツを引っ張る。
それまで、僕の隣に座りショーに見入っていた息子が、ピンチの場面でさっと母親の近くへ移動したときは、父親として何か不甲斐なさを感じてしまった。ピンチの時こそ父親の周りに家族が寄ってくるような父親を目指したいが、今のところどうも我が家の大黒柱は母親のようである。

いつもはガランとしている子どもの国もこの日は子どもで溢れていた。
あぁ、休みの日はこうして過ごす家族がこんなにいるんだと、なんだかホッとした。大人にもっとゆとりのある社会になれば良い。人間が楽になるように科学が進歩しているのだとしたら、これだけ科学が進歩した今、もっと人間は楽に生活するべきだ。ミハエル・エンデの「モモ」はそういった意味でとても面白い小説だった。

なんでも真似真似する娘。
ホントに元気になった。
子どもの国では大はしゃぎ。
楽しそうだった。

クライマーにはならないと思うが、クライマーになったらどうしよう、とあらぬ心配をしてしまうのである。
別にクライマーになったらなったで面白いからいいのであるが。
最近はトレーニングブームでしなやかに身体を使いこなす。
羨ましい。
僕も彼に倣って、頑張ろうとは思うのであるが・・・思うだけでなかなか身体は動かないのである。

チャレンジ精神旺盛。
負けてられない。

保育園にも慣れてきた娘。
環境は人を変える。
目覚ましい成長に目を細める親心

ホントはもっと自然の奥地だったりとかに行きたかったりもするけれど、これはこれで面白い。

何より、ここにいる人たちがみんな楽しそうにしているその雰囲気が素晴らしい。

Love&Peace

Peace be with you

そんな場所でイライラガミガミ子どもを叱っている大人を見ると残念な気持ち
キューレンジャーのショーももっとクオリティを上げてくれよ!という残念な出来栄え。
子ども達はキラキラとした瞳でショーを楽しみに来ているのだからと思ってしまう。
そんなクオリティでもめちゃくちゃ盛り上がってはいましたが。

クイズラリーにも果敢に挑戦。
字や数字が読み書き出来るように段々となってきました。

自分で歩いて、子どもの国を楽しむ子どもになりました。
2年前の僕と妻に教えてあげたい。
感謝感謝
多少、まだご飯の時に食器をポイポイ投げるけれど2年前の事を思えば大目に見よう。

そんなこんなの春です。
畑もにぎやかになってきました。
今日から連休。
じいじばあば、従妹家族が遊びに来てくれます。

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