学生ビザの却下
我が家の一番の関心事であった長女のビザの認可ですが、昨日ビザアドバイザーから却下されてしまったとの連絡がありました。
認可されていたら晴れて家族合流という運びだったのですが、却下の連絡。
以前の記事(「ダウン症である娘のビザ」)で散々書いたのですが、娘がニュージーランドに来た時に、ニュージーランド政府が支出することになるであろう、教育費と医療費が高くつくからという理由です。
それの健康面での審査の基準があり、それに満たないとの判断だったようです。
今回は僕のワークビザに付随としての学生ビザでの申請でしたが、次は永住権(residency VISA:仮永住権)での申請が始まったので、それの家族全員での申請にチャレンジすることになります。
とはいえ、結局健康面での基準は同様のものになるので、ビザの種類が変わったところで、もしかしたらまた却下されてしまうという可能性もある訳です。
ビザアドバイザーの人から過去の裁判で争われたダウン症の子どもを持ちビザが認められなかったケースの資料を参考資料としてもらったのですが、それらを読んでいると自分たちと重なる部分も多分にあって暗い気持ちになります。
頑然たる事実を突きつけられた感じがして、何だかショッキングなのと同時に、また眼の前に壁が現れて、よーしまた頑張るかぁ!ともう一踏ん張りアクセルを踏みなおす感覚です。
これから改めて、長女は健康診断(前回と同じ病院でないといけないみたいで、大阪。)と専門医の診断書をもらいにと追加提出書類集めです。
僕は僕で、こちらで受け入れる予定の学校の校長先生と受け入れ態勢に対してレターを書いてもらったり、ニュージーランドへの貢献の部分で僕の雇用形態が正規の教諭というポジションになる旨のレターを書いてもらったり、といったことをしていこうかと今のところ考えています。
(小学校では長女に特別な費用がかからないということはプラスの材料として働き、僕もニュージーランドのグリーンリスト(不足している職業リスト)に載っている教員という枠での雇用があるというのはプラス材料になり得ます。)
それにしても奇しくも今日は長女の誕生日で9歳になります。
娘がこの世に生まれてきて丸々9年ということになりますが、娘を通じてたくさんの気付きと学びと経験をさせてもらっています。
今回も図らずもとても沢山の気付きと学びと経験になっています。
(今はちょっと大変に思うかもしれないけれど、振り返ってみたら良い思い出になっていたり、自分たちが大きく鍛えられる契機になっていたりするものです。)
個人的には3月4月の就職活動に行ったときの、か細い糸を丁寧に丁寧に手繰り寄せるような、そんな感覚を思い出します。
今まで楽観的に構えていたけれど、そういった事実があるのだなと噛み締めています。
これも前回書いたけれど、ニュージーランドと決勝戦した(移住先候補)オーストラリアも、他の候補だったオランダもカナダもどこも同様な雰囲気を感じます。
「ダウン症」というだけで世の中如何程の制限があるのでしょうか。
昨日からよく頭に思い浮かぶのは鹿児島のしょうぶ学園の実践です。(「四国 九州」)
長女が暮らしやすい社会というのは他多数の人にとっても暮らしやすい社会なのではないでしょうか。
本当に貴重だなぁ。
素晴らしいしょうぶ学園。
同様の施設で働いている先輩ともお話したい。
不条理に直面している感じですが、だからこそホモ・サピエンスの伸びしろみたいなものも同時に感じています。
まだまだ目指すべき領域がある。と思いたい。